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たぶん、それは「愛」なんだと思う。

結局その日おいらは、そのチコリーを持って家に帰った。おいらが杉さんの勧めに素直に従ったのには訳がある。あの日居酒屋で「チコリー」というフラワーレメィディを前に、躊躇するおいらを見て、杉さんはおいらにこう質問した。「ワシが治療家なのは知っているね?」「ええ、もちろん」おいらはすぐには杉さんの質問の意図が分からなかった。「じゃあ聞くが、治療家って何してる人?」「何って???」おいらはとっさになんて答えていいのかわからなかった。

「人の病気やケガを治したり、する人ですよね」「うん、そうとも言えるが、病気やけがは自分で治すんだよ」「じゃあ、それを助ける人ですかね?」「うん、そうだね」「結局、身体はその人の過去の情報をすべて持っているんだよ、だから、治療家は過去を癒しているんだ」「現在は、過去にその人が持った情報の結果だから、もしその人が病気なら、過去の情報のどこかに間違いがあることになる」「治療は過去の情報の書き換えなんだよ」「なるほど、、、その通りですね」おいらはうなった。「情報にはいくつか種類があって、感情の情報も体ではないが、意識のあるレベルに記憶されているんだよ。だから、治癒は体と意識の両方に必要なんだ」杉さんの考えにおいらは100%説得された。「それで、キョジャ君が一所懸命に、思考を頭でコントロールしようとすることは悪いとは思わないが、潜在意識や無意識に隠れている本当の感情を理解しないかぎりたぶん、成長できないように思えたのだよ」「無意識に隠れた感情ですか、、、確かにそうですね」おいらは何も言い返せなかった。実はおいらにはふと思い当たることがあったからだ。その日は夕食をそそくさと済ますと、お礼を言って早めに切り上げた。最後にカサンドラを見ると、初めの印象とは違ってもしかすると、この人、ものすごく若い人のような気がしたのだが、最後までおいらと目線を合わせることはなかった。

結論からいうと、このチコリーというバッチフラワーを飲む体験は、おいらにとって苦い体験になった。飲み始めてしばらくすると、おいらはある夢を見た。それは、おいらがまだ小学生のころで、家に帰ると家にはなぜか誰もいなかった。叔母さんがすぐにやってきて、3つ下の妹が入院したので、お母さんはしばらく家に帰れないと言った。それで、しばらく叔母さんの家で暮らすのだが、いつまでたっても母親に会うことができないのだった。そこでようやく自分が親に捨てられ、叔母さんと暮らしていることに気がつく夢だった。

実際は、母親が重い病気になり、1年間ほど入院していたのだが、やがて、回復してなにもかも元通りになった、、、はずだった。

実は、叔母さんにはおいらと同じ年の男の子がいて、おいらといとこはまるで本当の兄弟のようにしばらく暮らしていた。川で遊ぶ時も、勉強するときも、テレビを見るときも、いつでもほとんど一緒だった。それで、おいらは実際のところ母親に会えなくても少しも寂しくはなかった。叔母さんも2人の子供を分け隔てなく扱うように努力していた。そう、努力していたのだが、おいらにはその努力がものすごく厄介だった。叔母さんの、一挙手一投足が、わが子への愛で溢れていたからだ。どこがどうと説明することは困難なのだが、あえて言えば、視線が、明らかにおいらを見る目とは違っていた。それは、叔母さんが悪いのではない。親としてそれは当然であり、明らかにおいらのひがみなのだ。が、おいらは、確かに何かを失ってしまったことに気がついた。たぶん、それは「愛」なんだと思う。おいらはずーっと後にそのことに気がつくことになるのだが、自分の失ったものが一体何なのか子供には理解できなかったのだ。

チコリーおいらに、いったい何が欠けていて、それを埋めるために、ぽっかりあいた空っぽの穴に、様々なガラクタを投げ込み続けてきたかを初めて気付かせてくれたのだった。

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